アニマルセラピーとペットロス

人間とペットの関係


 ペットと人間の関係がここ最近ずいぶんと変わってきたように思われます。また新しい言葉として「コンパニオンアニマル」「アニマル・セラピー」「ペットロス」もよく耳にするようになりました。食用としての動物、狩猟や労役としての家畜、愛玩動物など人間との関わりもさまざまです。
 そして家族同然として、人間と「共存共生」するペットを「コンパニオンアニマル」と呼び、強い絆(友情や愛情)を結ぶことがあります。その関係はいままでにない安らぎや信頼、そして精神面での治療(アニマル・セラピー)をも与えてくれるようになりました。その反面、愛するペットを失ったときの精神的ダメージ(ペットロス)も大きなものとなっています。
 しかし「アニマル・セラピー」も「ペットロス」も決して特別なものではなく、誰でもペットを飼っている以上、大なり小なりの影響を受けるものなのです。大切なことはこれらのことを自分のこととしてとらえて、ペットと向き合っていくことなのです。その時にはじめてお互いが幸せになれる関係が見つかることでしょう。

アニマル・セラピーとはなにか

 アニマル・セラピーとは正式には「アニマル・アシステッド・セラピー」と呼ばれ「動物介護療法」と翻訳されるようになってきています。神経科病院、老人ホーム、障害児施設などで、動物を参加させて治療をサポートすることです。
 「痴呆老人に犬と触れあってもらうことにより精神的・身体的リハビリの補助とする」「目の不自由な人が盲導犬と暮らすことにより生活の質が向上する」「子供たちと動物に触れあってもらい情緒的教育の一環とする」「一人っ子の家で動物を飼って、責任や共感を学ぶ」「精神的障害者が乗馬やイルカと触れあう療法」などが具体的な事例です。動物は状況に応じて「犬」「猫」「小動物」「小鳥」「馬や羊」「魚」などさまざまです。

セラピー効果

 日本でも実際に学校、幼稚園、老人ホーム、障害者施設、病院などで、動物訪問ボランティアの協力で成果をあげています。それまで一言も話さなかった老人が犬と触れあいはじめて口を開くようになった、入院患者の血圧が下がったり、自殺の試みが減ったりしました。またまわりとのコミニュケーションの手助けとなり人間関係の向上にもつながっています。
 アメリカではもっと先進的で、末期患者、犯罪性のある精神障害者、障害児、性的虐待を受けた子供たちのためにアニマルセラピーを導入して効果をあげています。

セラピーの方法

訪問型:
これは動物と飼い主であるボランティアグループが家や施設を訪問する方法です。短時間の訪問のため、動物に負担をかけずにできる反面、ボランティアの協力や受け入れ側の理解が必要となる。
飼育型:
家や施設で飼うことにより、いつでも好きなときに触れあうことができ、世話をすることにより責任感や絆を強めることができる反面、動物にとってストレスや危険になることもある。
活動型:
乗馬療法やイルカ療法など必要な場所に患者とボランティアが出向いていって、動物と触れあうことです。屋外のため気分転換や身体的リハビリの相乗効果が得られる反面、動物にとっては大きなストレスとなることや経営がなりたちにくいことがあります。

一般家庭でのセラピー効果

 普通の家庭でペットと一緒に生活をするとどんな効果があるのでしょうか。ペットの存在自体がストレス後の抑うつを防ぎ、安心感やリラックスを与えます。また他の人との潤滑油の役目を果たしたりします。

セラピーの注意点

 セラピーのために動物を酷使すると逆効果になります。動物に必要以上にストレスをかけてはいけません。あくまで共生していることを忘れてはいけません。また施設ではアレルギーや動物の鳴き声にストレスを感じる人もいるでしょうし、過去の経験から嫌う人もいるでしょう。そのことも配慮しなければなりません。セラピー用の動物は場合によっては訓練を施す必要があります。

日本と欧米の動物観の違い

 欧米人はペットが病気になるとわりとあっさりと安楽死させます。ペットが痛みを訴えるまま放置したり自分が飼えなくなって捨ててしまうことが我慢できないようです。ところが日本人は殺生をすることには抵抗を感じますので、殺すぐらいなら捨てた方がましだと考えます。
 これはどちらが正しいという問題ではなく、思想的な違いからおきてきている相違なのです。ですから海外の飼育書をそのまま受け入れるとどうしても納得のいかないことも多いはずです。セラピーも日本的なやり方があってもいいような気がします。

ペットロスとは

 近年、ペットが死んだ後の飼い主の悲しみを「ペットロス」としてとらえるようになりました。ペットが死んでから食欲がなくなる、涙がとまらない、抑うつ的になるなどの状態になったりします。

ペットロスを乗り越えるために

 ペットの死を悲しむのは当然であると認識し、それを乗り越えなくてはなりません。悲しみをきちんと感じることにより、その後の喜びや楽しみも倍増します。
問題なのは悲しみが不完全燃焼になったり、精神的な逃避や防衛感情が働き、悲しめないことです。これはペットの死だけではなく、手放さなくなった場合や行方がわからなくなった場合にもおこります。
 人間は心のよりどころの存在を失った場合、その対象との関わりを頭の中で再体験をします。その対象への愛情や憎しみ、恨み、自責、思慕などを感じ、少しずつ頭の中で整理されていき、やがて穏やかな存在として受け入れられます。これをフロイトは「悲哀の仕事」と呼びました。

「悲哀の仕事のつまづきがペットロス」

 この悲哀の仕事を途中で中断したり、それから逃げたり、他のものと置き換えたり、無視する場合は、対象のイメージは穏やかな存在として落ち着くことができません。つまずくと、他人や自分を責め続けたり、無関心を装ったりします。そして2度とペットを飼うまいと思うようになります。
 問題なのはペットロスは遺伝していくということです。親がペットでつまづけば、子供もペットを飼って死ぬと同じようにつまづきます。「ペットを飼うのは1度きりというくらい悲しいものだ」という意識を植え付けていきます。これは情操的にいって好ましいことではありません。人も動物のいつかは死ぬ。それは悲しいことだけれども、それをしっかりと悲しんだら、乗り越えてまた新たに愛情を注いでいくことを学んでいく必要があります。そして命の大切さに気がつかなくてはなりません。

ペットとの共存

 生前のペットとの関わりが深ければ深いほどペットロスに陥りやすくなります。これを未然に防ぐことは、教育しかありません。ペットはいつかは必ず死ぬこと、死んだら悲しんであげること。ペットロスから立ち直るのは、その悲しみの場をつくることです。誰かがそのペットの話を聞いてあげたり、ペットのことをうち明ける場(インターネットにもありますね)を作ったりすることです。そしてなにより、慰めと立ち直りを与えてくれるのは次に飼うペットです。
 ペットの存在が「友達」「家族」「パートナー」という存在になればなるほど、そのペットが死んだときのショックは大きくなります。ペットは人間が選んだものではなく、ひょっとしたらペットのほうが私たち人間を選んでやってきてくれたのかもしれません。なにか大切なことをおしえてくれるために。

育児との両立・・そして愛 お客様の体験談(投稿)より

我が家は、一歳になる赤ん坊と、チンチラと、イエローラブラドールを中心に生活しているせいで、こんなに手間をかけても、文句が出ることはないのですが、両方の家の両親から、動物気違扱いされているのは、事実です。

赤ちゃんが、生まれたことで、自分達の両親から反対されて、チンチラを飼いづらくなる飼い主の方、沢山いると思います。確かに、複数飼育の場合、私も、目を離したせいで、メスのチンチラを死なせてしまい、つらい思いをしましたが、うまく工夫すれば、一緒に飼ってあげることは出来ます。

ペットロス、と言うのが最近話題になっています。死んだ時につらいからと、感情を入れすぎないようにペットを飼う方もいるとか。ペットといえ、一つの命と人生を持って生きる私たちと同じように、人生と命を持っています。そんな子達の人生と命を豊かに開花させてやれるのは親である、飼い主の責任だと考えています。一つの命が亡くなれば、体中がよじれるほど苦しくまして、自分のミスで、事故を起こし、亡くしたとあればもだえ苦しむとは、このことか、と感じるほど苦しみぬきます。けれども、それが一番大切なことだと思っています。

生まれてこの方、ペットのいない生活をしたことがないほど、動物と一緒に生活をしてきて、天寿をまっとうしていく子や、事故で亡くした子のことを思い返すとき、どの子の事も、精一杯愛してきた自信が、私を支えてくれます。命とは、これほど重く、大切なものと教えられます。

どうか、これ以上愛せないほど愛してあげてください。失った時の、悲しみも苦しみも、後悔のない愛情が最後には、支えになり、チンチラたちの、幸せな人生につながるものと、信じてやみません。


文章:SBSコーポレーション 丹羽
参考資料:
横山章光/アニマルセラピーとは何か
アーロン/コンパニオンアニマル−人と動物のきずなを求めて
山崎恵子/ペットが元気をつれてくる−奇跡の動物療法
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